私の環境学 −1地球人としての反省と自覚−

福本和正

環境計画学科

環境・建築デザイン専攻


 1960年代前半の未だ学生の頃に、時の池田首相から、所得倍増計画がとび出し、何となく落ちつかない時代が始まったようである。当時の所得に比較して、現在は5倍以上になっているようであるが、取り巻く環境も大きく変わってしまった。既に30数年が経過しているが、その間に生じた環境にまつわる重要問題については、今の内に若い人にもぜひ知って置いて貰いたい事も多い。私の記憶の中から、主なものを引き出し、共に考えてみよう。

 1964年に東京オリンピックがあり、これを契機に、東海道新幹線が開通し、高速道路網が整備されていった。相前後して、各地に製鉄所や石油コンビナートが、風光明媚な海岸を埋め立てて建設され、世の中の景気は、グラフで言えば右上がりの、不況などは当時の日本にはないかのような勢いであったように思う。

 しかし程なく公害問題が新聞等で取り上げられ、当時は未だ環境庁がなかったので、通産省がてんやわんやをし、公害防止管理技士という資格も新設された。大気・水質の他に、少し遅れて騒音・振動の部門があり、当時私も勤務していた建設会社の一員として取得させられたが、出番はなかった。しかし、上記のような公害発生元となる製鉄所や火力発電所等の建設の一部に直接・間接に関わったことは確かである。

 それにつけても、この頃世界に悪名をとどろかせたのは、四日市喘息や水俣病、いたいいたい病、新幹線や高速道路沿いの騒音・振動等である。琵琶湖にも、某コンデンサー工場からPCBが流出したことは、許せないことである。

 これらに共通しているのは、原因を引き起こしている事業体が、被害が出るまで知らない振りをし、加害者とわかってもなかなか認めず、裁判で確定した時点で渋々補償を始めるという態度である。誰しも自分の非を認めるには、勇気もいるし、まして弁償という、事業体の存亡にも関わるかも知れない経済的要素を含んでいるので、簡単には容認できないとしても、一事業体の利益のために、不特定多数の、罪のない人が一度しかない人生をだいなしにされることは、二度とあってはならないことである。

 日本の公害・環境問題を見ていると、こういった公害を引き起こしている事業体を、その監督官庁が知っておりながら、規制に立ち上がるのが遅いことである。政策のためと言うよりは、与党議員の政治資金を確保するため、国民の犠牲には目をつぶって事業体の方を支援するという姿勢が根強い。

 次に現れたのが田中角栄の列島改造論で、これにより全国いたるところの山林・田畑が買いまくられ、木が伐採されてゴルフ場・別荘地・レジャー施設に改変された。この当時の社会的風潮として、田畑よりゴルフ場会員権の方に高い評価を置いている人もかなりいたのは、残念なことであった。造成による環境の改変、完成後の農薬等の流出の問題もあるようで、現在一部のゴルフ場会員権の価値の下落が出ているのは、世の中の風潮として望ましいことである。

 この頃までは、経済成長も右上がりが続いており、そのままで行くと、近い将来の石油消費量をまかなうためには、20万トン級のタンカーが産油国と日本の間の航路上に30分間隔で続いていなければならないという、当時の新聞記事を読みショックを受けたことを覚えている。案の如く、1973年に石油ショックが起こり、世界の石油消費国、特に日本国民は誰しも、目から鱗の落ちる思いをしたと思う。

 トイレットペーパーの買いだめ騒ぎで代表されるように、お金さえあれば何でも手に入り、自分さえ良ければ良いという考えの人が多いということもわかった。

 建設材料として使用する木材・コンクリート・鋼鉄も、無限に強いものがあれば、構造物の設計も楽であるが、そうではないため、大地震等で崩壊が生じるのと同じで、物事に全て限度があることを、全世界の人が再確認しなければならない。

 この時点で、世界の石油消費国、特に日本が、今や人類の生存に関わる大問題になってしまった地球温暖化、オゾンホール、酸性雨等の問題を予測し、その防止策も含めてその後の対策の協議を、関連各国に呼びかける方向に軌道修正をする必要があったのであるが、実際に日本が採った策は、今までどおりの延長であった。後の三木首相を臨時大使として産油国に派遣し、今までどおりの石油供給を懇請して回っている。

 現在かろうじて日本の主食の地位を保っていると思われる米だけは、3年程前の不作時の輸入を除き、一応自給自足できているものの、その他の食料は外国に頼り、結果として食料の自給率が3割になってしまったのは、異常なことである。地球温暖化の一現象として、乾燥化が進めば、米さえも不足し、大変なことになるので、食料の自給率だけは100%以上にしておく必要がある。

 資源のない日本が高度成長策を採り、主として低開発国からあらゆる原料資源を安く大量に輸入し、それらに付加価値をつけて高く売りつけた代償として、日本と関係各国に与えた環境破壊をはじめとする種々の変動は、大きく、取り返しのつかない事態になっている。この事実を、国民一人一人、特に政治家が率先して反省し、改良策を考え、日常生活を改めなければならない時期になってしまった。

 私の専攻分野の関わる建設業も、上記の問題から逃げることはできず、責任は重い。建設資材としての木材の輸入は、その内でも目立つ問題である。平地より山林面積の方が多い日本の木材を使わないため、国内の林業は不振なのに、東南アジアやその他の地域の森林を根こそぎ荒らしまくっているようであるが、日本政府がブレーキをかける動きは認められない。貿易立国を支えて来た日本の商社が、自社のテリトリーを広げ、利益を増やすことのみを目標に、しゃにむに社員に発破をかけてきたやり方も、こういった結果の要因になっている。これも金儲けのためかも知れないが、最近日本の商社が、伐採した東南アジアの跡地に植林する動きがあるのは、せめてもの救いである。鳥取大学を退官された先生が、中国西部の砂漠の緑化に打ち込んでおられることは、私たちの今後の生き方に大変参考になる。

 本学キャンパスに移動しての大きな変化は、ごみの分別回収である。短期大学では、学内清掃担当の人によって分別されていたおかげか、分別についてはそう厳しくなかったし、私の住む京都市内では、未だ分別収集が実施されていないからである。しかし、ビニールや電池等の焼却による有害ガス等の処理はどうなっているのか、気になったままであった。ドイツでは、既に模範とすべき分別収集が実行されているようであるが、台所等から出るごみを乾燥させる手間程度を除き、資源の有効利用、公害防止のためにも、取りかかりの遅れた日本でも、早急に全国的に普及させる必要がある。それにつけても、コンビニエンスストア等で購入する食品類に、ビニール類による包装の多いのが気になるところであるが、幸い本年4月に「容器包装リサイクル法」が施行されるということで、詳細を早く知り、その普及に微力ながら協力したいと考えている。